東陽片岡インタビュー5 – バイクのネジを緩められてこりゃたまりゃんの巻

伊東・湯河原・熱海などの温泉街にバイクで おツーリングされるのが趣味の東陽さんは、10代の頃から これまで様々なバイクを乗り継いできたんだとか。そんなバイクに関するインタビューをどうぞ。【インタビュー目次

 

――東陽さんがデビューした『月刊漫画ガロ』ですが、いつ頃から読まれてました?
東陽 昭和40年代前半頃、水木しげるの『鬼太郎夜話』とか、つげ作品は『ねじ式』以前から読んでたね。んで70年代にブランクがあったけど、いつの間にか糸井重里原作・湯村輝彦作画の『ペンギンごはん』の時代になっていて驚いた。で、大学の頃、一番衝撃だったのは根本敬さんの漫画だね。デビュー作の『青春むせび泣き』って、ある日突然、ガロにとんでもない作品が出てね、なんだこりゃって。その頃の自分は真性包茎のオナニーライフで、毎日オートバイに乗ってるただのアホだったからね。

――オートバイはいつ頃から
東陽 18歳、高校3年で原付免許取って、友達のオートバイに乗せてもらったりしてた。バイトしてマイバイク買ったのは、卒業してすぐ。50ccバイクね。

――何を買われました?
東陽 ヤマハのTY50っていうオフロード系のバイク。

ヤマハ TY50 出典:ヤマハ発動機株式会社

――その頃はヤマハが好きだった?
東陽 昔はヤマハ好きだったね。ヤマハは作りが良いんだよ。

――周りのバイク好きではヤマハ派とかホンダ派とか色々?
東陽 分かれるね。おれはヤマハから始まったんだけどね。今はホンダ乗ってるけど。ヤマハはね、GKデザイン(※)って、芸大系の人たちが作ってる工業デザインの会社があんのよ。いいデザインいっぱい作る会社でね。その人達がオートバイのデザイン担当したから、かっこいいんだよ。作りもいいしね。

※GKデザイングループは、東京に所在する株式会社GKデザイン機構を中核とした企業グループ。1952年(昭和27年)、創設者の榮久庵憲司ら東京藝術大学の6人のメンバーが結成した。出典:Wikipedia調べ

――これまでどれぐらい乗りつぶしました?
東陽 十数台じゃない? でもまあヤマハが多かったかな。とりあえず全メーカー乗ったよ。ヤマハ、ホンダ、カワサキ、スズキ。今一番好きなメーカーが何かって言われたら、スズキが好きなんだよね。スズキのオートバイってのは不憫なんだよ。なんか、大事にされないって言うか。よく歩道橋の下にさ、ホコリをかぶって捨てられてるオートバイってあんじゃん。ああいうオートバイ、たいがいスズキだったりするんだ(笑)

うすバカ二輪伝
東陽片岡のバイク漫画『うすバカ二輪伝』

――バイクの修理でひどい目にあったとか
東陽 故障させようとしてネジ緩めてくるような、お店ね。そういうお店はあったよ。いろんなお店に修理出したけど、明らかにネジが緩んで帰ってくるんだから。

――なかなかひどい話ですね
東陽 ひどいよ。あと、旧車マニアってのが居て、もう今現在手に入らない旧車のオートバイを愛好する人たちが集まるクラブがある。で、そこの親玉ってのは新品でも中古でも部品を何でも持ってるんだ。マニアはそういう部品の供給に不自由したくないから、親玉に媚び売ったり、そういう関係でクラブってのは成立してる。これはある旧車クラブでの話なんだけど、親玉が気に入らない奴がいたら、親玉がオートバイいじるんだよ。気に入らない人が親玉に「ちょっとお願いします」なんて、修理依頼するとね。親玉は必ずネジを緩めて渡すの。ネジがポコっと外れて、おしゃかになるでしょ。そうして、また「部品お願いします」って、注文する。それもね、走る上で関係ないところの部品が落ちるのはまだいいんだよ。話を聞いたら、前輪が外れたって人がいる。危ないよね(笑) だから、そんな邪悪なショップや親玉にネジを緩められて、普通の交通事故かもしれないけど、実は事件だったって、そういうのはあるんじゃないかな。

 

東陽片岡インタビュー6へ続く

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