東陽片岡インタビュー4 – 筆おろしのソープランドでブッチャー並みの大流血の巻

インタビュー4回目は、包茎手術後に官能世界への扉を開けた初体験のエピソード。冒頭に出てくる「角海老」は首都圏を中心に展開する大手ソープランドグループ。金額も安く、筆おろしには最適のお店ですね。

 

――包茎手術した後にソープランドに行く計画を立ててらっしゃった
東陽 手術してから1ヶ月は行っちゃ駄目だって医者に言われたから、3週間目で抜糸して、その1週間後だ。1ヶ月経ったころに大塚の駅前ソープの「角海老」に行った。杉並さんていうお姉さんにお相手してもらったよ。「角海老」は東京都23区の地名を源氏名にしているからね。杉並さんとか渋谷さんとか。

――お相手は、写真で指名されたんですか?
東陽 いや、そんな贅沢言わない。とりあえず筆おろしの目的だけで行ったから、おまかせで。その当時、「角海老」にアルバムは無かったね。

――お相手のお姉さんも抜糸した直後だってわかってたんですよね?
東陽 だと思うけどね。「あら綺麗」なんて、内心思ってたかも知れない。ほんとにね、綺麗だった。それで、念願の おセックスだけど、手術したときの縫い目から出血したからね。ゴムしても、第1回目だから塩梅よくいかないわけですよ。しょうがないから最終的にローション手こきでイッたんだけど。そこで刺激が強すぎた感じで、縫い目から流血して「お客さん、血っ、血が出てきた!」って言われて、こっちは、イク寸前だったから、「続けて!」って(笑) アブドーラ・ザ・ブッチャーみたいに相当流血したよ。そのあと白いのが出てきて、紅白でメデタシってわけ。

――そのあとソープとか風俗に頻繁に
東陽 第1回目以降は、しばらくその「大塚角海老」専門で、30人ぐらい在籍してる中、20数人ぐらい指名して行った気がする。

――気にいるとひとつの店に続けて行く感じですか?
東陽 そうそう、そういうタイプだね。「角海老」ってのはいいんだよ、和風でね。お客様の待合室が畳敷きで20畳ぐらいあって、肘掛けのある立派な座椅子に座ってね。

――その頃は大学も卒業して、お金に困ることは無かったんですね
東陽 「角海老」なんてね、安いんだよ。サービス料込みで1万4千円だったから。

――大学卒業後、就職ってのは考えなかった?
東陽 考えなかった。就職する気がなかったのよ。早起きできないから(笑) 出社時間の遅いアルバイトを探してたら、10時出社のサンク・アールって、今ならブラック企業と言われるであろう、コマーシャル美術の会社があった。そこは、テレビコマーシャルとかのセットを作る会社。時給600円でいいよって言うし、10時出社ってのも気に入っちゃってね。それで行ったら、そこがとんでもない会社だった。残業で月3百数十時間、毎月働かされてね。休みなんて月に2日とかそれぐらい。もう、ここに居たら死んじゃうと思ってね、そこは1年弱で辞めた。だけど、今考えると楽しかったけどね。映画『ALWAYS 三丁目の夕日』とか、映画で美術監督を担当している人(※)がいるんですよ。賞受けたりして立派な人なんだけど、その人なんかはね、同じ頃アルバイトでやってたの。

※上條 安里:美術デザイン会社サンク・アールデザイン部所属・取締役副社長。テレビCMの美術を担当していたが、『7月7日、晴れ』で映画の美術デザインに初参加。『ALWAYS 三丁目の夕日』で第29回日本アカデミー賞最優秀美術賞。出典:Wikipedia調べ

――当時、東陽さんのまわりで正社員を目指す人は多くなかった感じですか?
東陽 いやそんなことはない。特にグラフィックデザインの人と広告業界に憧れて電通を始め広告会社に就職しようっていう前向きな人たちはいっぱいいたからね。俺はそういう前向きな人たちとの交流はないのよ。もうとにかく朝が苦手で、これは自分には向かないなと。正社員として働くのは不可能だと思ってた。

――ピンクキャバレーをおごってくれた いとこ(インタビュー2参照)が昭和58年に蒸発されたとか
東陽 その話は笑っちゃだめなんだけど。そいつが天才なんだよね。自分が工業デザインの道に行こうと思ったのも、そいつの影響なんだよ。そいつはほんとに何も学力のない人だった。高校卒業するときに親は、ちゃんとした就職先が見つかるか心配してたんだ。だけど、特性をよく見ていた高校の先生がいて、「彼は物を作る能力に長けているからデザインの方面に行かせたほうがいい、千駄ヶ谷に日本デザインスクールがあるから、そこでプロダクトデザインを勉強して、デザイナーの道に行ったほうがいいんじゃないか」って言って、で、専門学校はそこに行ったね。そしたら能力発揮しちゃった。そこを卒業して、プロダクトデザインのプロダクションに就職したんだよ。そしたら、いきなりカシオの電卓とか、斬新なデザインを始めてね。才能があるやつだね。そのかわりスケベなんだ。それがちょっと人生を狂わせたかもしれない。

――何があったんですか?
東陽 あまり大きな声じゃいえないけど、行き倒れになったんだよ。最終的に借金こさえて蒸発したんだ。借金こさえて、あちこち行ったらしいんだよね。17年ぐらい蒸発してて、最終的に荒川土手で倒れているところを発見されて、野垂れ死に寸前で病院に送られて、病院で死んだんだ。病院に運ばれたあと、警察が入っちゃったのね。なんか事件性があるかも知れないつって。警察ってすごいね。そこで、身元判明させたのよ。そして、死んでから家族に知らされたのね。

――それを聞かれて
東陽 驚いたよ。死んだ時49だったね。蒸発したのが32で。もうだいぶ前の話だけど、やっぱどんなになっていようとさ、生きててほしかったと思うよ。

――そんな優秀なデザイナーだったのに
東陽 そうだね。まあそう言う破滅型の天才ってのはいるよね。

 

東陽片岡インタビュー5へ続く

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